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坂口がモラレスに仕掛けたトップロープ越し場外へのボディースラムは衝撃でした。あれを受けたモラレスは流石ですね!
ペドロ・モラレスとビクター・リベラのドロップキックはお手本だったと思う。馬場の、あのくるりと回ってお腹から落ちる形は、モラレスだったのか。あの巨体でやるから、アメリカでもびっくりされただろうな。
フライングリバースドロップを観た時の衝撃はプロレスのロマンを感じさせたレスラーで ペドロモラレスの名が頭に焼き付いている。ラテンの魔豹は格好良かった❗
3人で会ったら楽しそう・・・
モラレスの初来日は23歳、馬場も猪木も評価の高かったウィルバー・スナイダーの決勝進出は順当だったろう。
明石家さんまさんの憧れのレスラーだった事でも有名なペドロ・モラレスさん。
1972年9月30日ニュ―ヨ―ク・シェア・スタジアムでモラレスとサンマルチノがWWWFヘビ―級選手権で戦っています。結果は60分フルタイム引き分けでした。
UPお疲れ様です!新日本プロレスがマクマホンに接近する気配を感じた馬場さんが先手を打った事でモラレスさんの商品価値が落ちたという側面もあったんですね😅インターベルトの件といい、当時の馬場さんが相当新日本プロレスを意識していた事が判って滅茶苦茶面白かったです。
あくまで私個人の推測ですが...
1976年、新日の第3回Wリーグ戦優勝戦で坂口にリングアウト負けしたが、リーグ戦全勝だったのが最後の輝きかな(猪木はアリ戦に備えて不参加)
ペドロ・モラレスと来れば、WWEのジ・アンダーテイカーVSマンカインドとの金網デスマッチでの解説だよね!スペイン語解説担当だったモラレスの所にマンカインドが落下したのを憶えてる!
どこで読んだか忘れたが、プロレス界の性豪No.1だそうな
ナイスオマケ
レジェンド! 8:03
馬場さんの著書によると、同時に来日したロニーメインと共にイタズラも相当やらかしたそうですね。おかげでとある有名旅館が日プロの宿泊を以降禁止にしてしまったとか😅
結局、猪木がMSGに初登場したのは翌年の12月でしたねー。相手は二流のフランク モンティーでしたが🤣🤣
ブリスコ戦も新日でのNWF戦より日プロでのUN戦の方が遥かに上の名勝負でしたから、確かにモラレス戦も日プロで実現していたら..... 全日MSG杯は空中首折り落としの速攻を見せて馬場が取った3本目が本当に酷くて、ここから細密画を描く様な猪木のプロレスに傾倒していきました。ノーTVや猪木の体調の問題でNWF戦が名勝負にならなかったのは惜しまれます。最後の来日はIWGP&WWFチャンピオンシリーズなんですよね。サンマルチノとの関係は間にコロフとスタージャックを入れて発電所-魔豹の優劣の評価を上手く避けてますね。
モラレスは日本ではイマイチな扱いだったね。85年のIWGP でのXとしての参加は気の毒な扱いだった。
いつも片足しか当たってないのに何で32モン❓
晩年の馬場さんしか知らないんですね。
両足で蹴ろうてるからでしょうね😂所詮全日はアメリカショーマンプロレスの八百長ですからね。
@@mosugi5169 いや、馬場がいいドロップキックを出来たのは60年代まで。70年代には片足しか当たらなくなり、80年代にはほとんど出来なくなっていた。練習不足のためだね。
坂口がモラレスに仕掛けたトップロープ越し場外へのボディースラムは衝撃でした。あれを受けたモラレスは流石ですね!
ペドロ・モラレスとビクター・リベラのドロップキックはお手本だったと思う。馬場の、あのくるりと回ってお腹から落ちる形は、モラレスだったのか。あの巨体でやるから、アメリカでもびっくりされただろうな。
フライングリバースドロップを観た時の衝撃はプロレスのロマンを感じさせたレスラーで ペドロモラレスの名が頭に焼き付いている。
ラテンの魔豹は格好良かった❗
3人で会ったら楽しそう・・・
モラレスの初来日は23歳、馬場も猪木も評価の高かったウィルバー・スナイダーの決勝進出は順当だったろう。
明石家さんまさんの憧れのレスラーだった事でも有名なペドロ・モラレスさん。
1972年9月30日ニュ―ヨ―ク・シェア・スタジアムでモラレスとサンマルチノがWWWFヘビ―級選手権で戦っています。結果は60分フルタイム引き分けでした。
UPお疲れ様です!
新日本プロレスがマクマホンに接近する気配を感じた馬場さんが先手を打った事で
モラレスさんの商品価値が落ちたという側面もあったんですね😅
インターベルトの件といい、当時の馬場さんが相当新日本プロレスを意識していた事が判って滅茶苦茶面白かったです。
あくまで私個人の推測ですが...
1976年、新日の第3回Wリーグ戦優勝戦で坂口にリングアウト負けしたが、リーグ戦全勝だったのが最後の輝きかな(猪木はアリ戦に備えて不参加)
ペドロ・モラレスと来れば、WWEのジ・アンダーテイカーVSマンカインドとの金網デスマッチでの解説だよね!
スペイン語解説担当だったモラレスの所にマンカインドが落下したのを憶えてる!
どこで読んだか忘れたが、プロレス界の性豪No.1だそうな
ナイスオマケ
レジェンド! 8:03
馬場さんの著書によると、同時に来日したロニーメインと共にイタズラも相当やらかしたそうですね。おかげでとある有名旅館が日プロの宿泊を以降禁止にしてしまったとか😅
結局、猪木がMSGに初登場したのは
翌年の12月でしたねー。
相手は二流のフランク モンティー
でしたが🤣🤣
ブリスコ戦も新日でのNWF戦より日プロでのUN戦の方が遥かに上の名勝負でしたから、確かにモラレス戦も日プロで実現していたら..... 全日MSG杯は空中首折り落としの速攻を見せて馬場が取った3本目が本当に酷くて、ここから細密画を描く様な猪木のプロレスに傾倒していきました。ノーTVや猪木の体調の問題でNWF戦が名勝負にならなかったのは惜しまれます。最後の来日はIWGP&WWFチャンピオンシリーズなんですよね。サンマルチノとの関係は間にコロフとスタージャックを入れて発電所-魔豹の優劣の評価を上手く避けてますね。
モラレスは日本ではイマイチな扱いだったね。
85年のIWGP でのXとしての参加は気の毒な扱いだった。
いつも片足しか当たってないのに何で32モン❓
晩年の馬場さんしか知らないんですね。
両足で蹴ろうてるからでしょうね😂
所詮全日はアメリカショーマンプロレスの八百長ですからね。
@@mosugi5169 いや、馬場がいいドロップキックを出来たのは60年代まで。70年代には片足しか当たらなくなり、80年代にはほとんど出来なくなっていた。練習不足のためだね。